何気なく雑誌を読んでいたら、デジタル遺品の話題が取り上げられていて興味を惹かれました。
一昔前にはあり得なかった話であり、特に最近でてきた概念なわけですが、様々な電子機器が身の回りにある今の時代だとこれらの扱いも考えなければいけないのだなと思いました。
そこで自分のことも振り返ってみて考えると、確かにデータは山程あって今自分が死んだとしたら、残された家族はこれらの扱いをどのようにするのか疑問に感じたのです。
データは山程ある!
デジタル遺品の記事を目にして、自分は果たしてどれだけのデータがあるのかと考えてみたところ、山程あることに気が付きました。
最初のうちは大した量もないだろうと考えていたのですが、よくよく考えてみるとかなりの量があり、価値の有る無しは別として量で言えばかなり膨大なものだったのです。
内容としては人から見れば下らないものであり、それを考えると大したことがないということもできるのですが、実際に自分が死んでデジタル遺品を整理することになった人のことを考えると、扱いに困るのは間違いないかなとは感じました。
自分が死んだ後は全部消してもらって構わないものばかりなのですが、それを伝えて置かなければ残された人からすると、どれが大切なものでどれが不要なものかわからないものです。
自分のレベルでもこれだけのものがあるわけですから、もっと重要なデータを持っている人の扱いは本当に大変だなと感じ、今の時代ならではの悩みだなと感じました。
サッカー関連のデジタル遺品ばかり
データは山程あるわけですが、よくよく何があったのか考えてみるとほとんどがサッカーの写真ばかりでした。
自分に関係するものもあれば、好きな選手の写真であったり、あるいは球技場の風景であったりと様々でしたがそのほとんどはサッカーに関連するものばかりだったのです。
それを考えた時に、これだったら残された人も扱いには困らないかなと考えるようになりました。
好きな選手の写真に関しては本人が亡くなっていれば消してしまっても困ることはありませんし、本人が写っているものであれば場所も取りませんから残しておけばいいだけです。
それほど重要なものではないので、最悪全部消してしまってもそこまで後悔するほどの物が残っているわけでもないため、自分のデジタル遺品の整理は残された人からすれば結構楽なのかなと思いました。
ただ、数は多いので一つ一つ選別をしてくのは大変かもしれませんが、残された人を過剰に悩ませることがなさそうなのは良かったです。